【Special Interview】まちに泊まり文化に触れる、分散型ホテルが生む新しい体験価値

前編:【Special Interview】まちに泊まり文化に触れる、分散型ホテルが生む新しい体験価値

バリューマネジメント株式会社
代表取締役 他力野 淳氏(左)

野村不動産ソリューションズ株式会社
常務執行役員 原田 真治(右)

日本は今、人口減少や高齢化にともない、地方都市の活力低下や空き家問題が深刻化しています。地域の記憶や文化を宿す文化財などの歴史的建造物も、決して例外ではありません。
このような課題に対し、バリューマネジメント株式会社は「文化を紡ぐ」という理念のもと、複数の歴史的建造物を客室などに再生し、まち全体を一つのホテルと見立てる「分散型ホテル」を展開。歴史的建造物の保存と活用を両立させる形で地域活性化に貢献し続けています。

今回は前編・後編の2回にわたり、同社代表取締役の他力野淳氏に話を伺いました。野村不動産ソリューションズの原田真治が、分散型ホテルの魅力や価値、地域や建物を未来につなぐ可能性などについて掘り下げます。

※本記事は2026年5月時点の情報をもとに執筆しています

202606_09_image01.jpg「分散型ホテル」のイメージ図。地域に点在する歴史的建造物を保存して価値を守りながら、まちの中にフロントやレストラン、客室などの個別機能を分配し、まち全体で一つのホテルとみなす。
202606_09_image02.jpg兵庫県・篠山城下町の分散型ホテル(フロント)
明治期に創建された元銀行経営者の旧住居を活用
202606_09_image03.jpg兵庫県・篠山城下町の分散型ホテル(客室)
江戸末期に創建された古民家を活用

宿泊・飲食・体験が「まち全体でつながる」価値

202606_09_image04.jpg江戸時代に建築された古民家を改装した客室(丹波篠山市)

原田 御社が展開する「分散型ホテル」は、一つの建物の中に客室やフロントやレストランを集める一般的なホテルとは異なり、まちに点在する歴史的建造物のそれぞれに客室などの機能が配置されていますね。文化財を「観る」から「泊まる」という体験価値へ転換し、新たな産業や雇用を創出しているなど興味深く感じています。
私自身も2025年11月に、御社が手掛けた丹波篠山の分散型ホテルに宿泊させていただきました。まちなかを歩くほどに、滞在価値が深まる感覚があったのを覚えています。この分散型ホテルの魅力や価値を、他力野社長ご自身はどのようにお考えですか?

他力野 ひとことで言うと、「1日の住人体験」を味わっていただくことだと思っています。まちなみの中に住むように泊まり、その土地の文化を肌で感じてもらう。そこに一番の価値があると考えています。

202606_09_image05.jpg左:他力野 淳氏  右:原田 真治

文化は、時代を超えて紡がれていくものです。時代に合わせて表面的な姿を変えることはあっても、江戸時代も令和の今も、ともに日本文化であるように、本質は変わりません。そして文化は、人々の暮らしや営みの中から生まれます。風土の上に生活があり、その中で方言や祭り、食文化といったものが漆塗りのように大切に重ねられ、地域独自の色になります。特に日本は藩の中で完結した暮らしが長く続いてきたため、地域ごとに異なる独自の文化が育まれてきました。だからこそ、まちなみに身を置き、暮らすように過ごしていただくことが一番なのです。その土地ならではの文化を感じていただければ、と。

原田 分散型ホテルがあえて施設を1ヵ所に集めず、まちを回遊する形を大切にしているのには、そういう背景があるのですね。一般的なホテルや旅館は、快適に過ごせるよう建物内に機能を集約する形が主流だと思います。それを分散してまちの営みや文化に触れていただくことで、その土地ならではの体験価値を生み出していらっしゃる。

他力野 ええ、あえて不便さを残しています。中には「食事のためにわざわざ外に出るの?」「雨の日に傘をさしてまで?」と、手間に感じる方もいるかもしれません。だけど、その一歩二歩の外出そのものが、まちと出会うきっかけになります。それも含めて楽しんでいただきたいのです。丹波篠山では、フロントから一番遠い客室までなんと2.2kmもあるのですよ。

原田 私もその広さには、良い意味で驚かされました。結構な距離を歩くのですが、道中にはお城や町家の軒先などがあり、地元の方が行き交う光景に出会えます。ただの移動時間ではなく、丹波篠山という「まちそのもの」を味わう特別な時間になっていると実感しました。

スクラップ&ビルドの限界と制度の壁

202606_09_image06.jpg千葉県香取市:重要伝統建造物群保存地区:「佐原商家町ホテル NIPPONIA」

原田 これだけ魅力的な仕組みの分散型ホテルですが、立ち上げ当初はスムーズではなかったと伺っています。当時の旅館業法からすると、制度面での壁も大きかったのではないでしょうか。

他力野 確かに、ご理解をいただくまでには時間を要しました。私が法人化したのは2005年で、ちょうど日本が人口減少の局面に入り始める手前の頃です。経済的な合理性などから、社会全体の風潮は、まだスクラップ&ビルドの流れにありました。「なぜ、わざわざ古い建物にこだわるのか」という声が多かったのを覚えています。

202606_09_image07.jpgインタビューに答える 他力野 淳氏

旅館業法などの制度上、古い建物で宿泊業を営むこと自体も難しい側面がありました。明治や大正から続く老舗の旅館が例外的に認められていたくらいで、古民家を宿に転用するための明確な枠組みはなかったのです。私たちのような新規事業者は、歴史的建造物を活用しながら事業化できることを、一つ一つ示していくしかありませんでした。

原田 制度が少しずつ動き始めた背景には、何があったのでしょうか。

他力野 大きく三つあるととらえています。一つ目は、人口減少の危機が現実のものとして意識され始めたこと。二つ目は、歴史文化資源の維持が税金だけでは支えきれなくなってきたこと。これは実際に、管理者を失った建物が更地になったり、使われないまま残されたりする例が、すでに各地で発生していました。三つ目は、観光庁の設立です。観光が外貨を稼ぐ国策の一つに位置づけられ、官民連携で歴史的資源を活用した観光まちづくりの取り組みが始まりました。私も専門家としてそこに参加し、文化財の保存と活用の経験から政策提言をおこなってきました。つまり、日本全体の危機感が制度を動かしたのだと思います。

202606_09_image08.jpgインタビュアーを務めた原田 真治

原田 確かに人口減少は想定以上のスピードで進んでいますし、このままでは維持が難しくなる地方もさらに増えていく。これまでとは違うまちづくりが必要だったわけですね。だからこそ、スクラップ&ビルドではなく、既存のものを活かす発想が求められてきたのだと理解しました。

他力野 これまでと同じやり方では立ち行かなくなる地域は、今後さらに増えていくと見ています。現在、全国1,718自治体の約3分の2が、人口5万人以下です。人口5万人というのは市として機能する一つの目安であり、現状では1,100以上の自治体が、その水準を下回っているわけです。ただし、住民の方々も、決して無関心ではありません。まちづくりのシンポジウムを開催すると、どの地域でもほぼ満席になるくらい、多くの方にお集まりいただけます。それほど皆さん真剣に考えていらっしゃるのです。一方で、何から取り組めば良いのか、迷う場面も少なくありません。今こそ地域に寄り添いながら伴走できる存在が必要なのだと感じています。

「失われたものは戻らない」阪神・淡路大震災が刻んだ原点

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原田 これほどまでに強い信念を持って取り組まれている、他力野社長の原点はどこにあるのでしょうか。「文化を紡ぐ」という一貫した思いや、構想のきっかけについて教えてください。

他力野 もともと、大学を卒業したら起業しようと考えていました。ところが、21歳のときに、地元の神戸で阪神・淡路大震災を経験したのです。目の前で多くのものが失われ、物事の見方が大きく変わりました。被災したまちで懸命にボランティアをおこなうのですが、まちの姿はなかなか元には戻りません。私は、あまりにも無力でした。

「人は大切なものを失ってから、その大切さに気付く」というのも、そのときに痛感しました。
復興を目指す中で、多くの方が失われたものを取り戻そうと尽力していました。やがて、新しいまちが形になり始めるのですが、住所は同じでも、以前の面影は薄れてしまっているんですね。同じ人たちが同じ場所に帰ってくるとは限りませんので。

原田 それぞれのご事情で、新しい土地での暮らしを選ばれた方、選ばざるをえなかった方はたくさんいらっしゃると思います。まちの人が入れ替わると、人のつながりも変わる。そうなると、地域の文化も少しずつ変容していきますね。

他力野 はい。そこから「地域の歴史や文化の中にある『失われたら戻らないもの』を次の世代につないでいきたい」と考えるようになりました。震災は一瞬でまちの姿を変えましたが、人口減少はゆっくりと、同じようなことをもたらすかもしれません。神戸で起きたことは、これから日本の各地でも起こりうるのではないかと思ったのです。「失われる前にできることに向き合いたい」という思いが、すべての事業の根底にあります。

明治3年の屋号を守る決断「鮒鶴であり続けるべきだ」

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原田 先日ご案内いただきました京都の「鮒鶴京都鴨川リゾート」も、本当に特別な空間でした。先程、「失われたら戻らないもの」というお話がありましたが、鮒鶴のあの建物で「これは絶対に失いたくない」と思われた価値は、どのようなものですか?

他力野 外観と「鮒鶴」という看板です。あの建物は昭和2年からあるのですが、あれほどの高さの木造建築が現存していること自体、現代の感覚では驚くべき光景です。京都市内でも有数の広さを持つ木造の商業施設で、鴨川沿いを通れば必ず目に入る。そうした象徴的な建物があり続けることに、大きな意味があると感じました。

202606_09_image11.jpg国指定登録有形文化財「鮒鶴京都鴨川リゾート」

ところが、お預かりした時点では、文化財に登録されていなかったのです。「京都の景観を守りたい」「しっかり保存していきたい」という思いを込めて、国の登録有形文化財に指定していただきました。もちろん、すべての古い建物を絶対に残すべきだとまでは、考えておりません。時代の流れの中で、静かに役割を終えていくものもあるでしょう。それでも、まちを代表するような建物は、できる限り次の世代に引き継いでいきたい。鮒鶴は、まさにそうした存在の一つです。

原田 「鮒鶴」という屋号については、いかがでしょうか。

他力野 「鮒鶴」は、明治3年からあの場所で愛され、受け継がれてきた名称です。「鮒鶴」という看板が掲げられていること自体に、大きな意味があると感じていました。名称が変われば、地域の方々の記憶やつながりも薄れてしまう。それでは、私たちが大切にしている過去や本当の意味での文化を残したことにはなりません。オーナー様に「鮒鶴という看板を貸してください。ここは鮒鶴であり続けるべきです」とお願いし、引き継がせていただきました。

原田 建物を残すとは、単に古いものを保存することではなく、その場所が紡いできた物語ごと未来へ手渡すことなのですね。明治3年から続く屋号、昭和2年から建つ木造建築、そして京都の方々の記憶。それらを丸ごと引き継ぐというご判断から、「失われたら戻らない」という他力野社長の原点と決意が伝わってまいりました。

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「失われたものは戻らない」という原体験と、屋号まで引き継ぐという判断。スクラップ&ビルドが当たり前の時代から、歴史的建造物を活かす道を切り拓いてきたバリューマネジメントが、次のステージで目指したものとは。
後編では、有形から無形へのシフトを体現した新ブランドの哲学を中心に、持続可能を超える次世代のまちづくりについて、さらに深く掘り下げていきます。

提供:リサーチ・コンサルティング部

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