十二ヶ月の内 六月門涼 渓斎英泉画
(国立国会図書館所蔵)
麦茶の歴史は古く、平安時代には「麦こがし売り」なるものが登場し、人々は煎じて飲んでいたようです。鎌倉時代の戦国の武将たちは陣中に持参したとも伝えられています。江戸時代末期になると、麦茶は、町人衆の気軽な飲み物として、今でいう喫茶店のような「麦湯店」があちこちに出来、大いに繁盛したようです。
江戸後期の風俗を記した『江戸府内風俗従来』には、
「夏の夜、麦湯店の出る所、江戸市中諸所にありたり。多きは十店以上、少なきは五、六店に下がらず。大通りにも一、二店ずつ、他の夜店の間にでける。横行燈に「麦湯」とかな文字にてかく。また桜に短尺の画をかき、その短尺にかきしもあり。行燈の本は麦湯の釜・茶碗等あり。その廻りに涼み台を並べたり。紅粉を粧うたる少女湯を汲みて給仕す。」
(松下幸子・歌舞伎座事業株式会社所蔵)とあります。また、当時の江戸の街頭には照明がなく暗かったので、麦湯の行燈が闇を彩り、江戸情緒を醸し出していたのかもしれません