【番町】上質な暮らしを満喫できる都心とは思えない優れた住環境
「四ツ谷」駅の東側、一番町、二番町、三番町など番町という地名が付くエリアは、江戸時代には旗本屋敷が広がっているエリアでした。明治維新後、使われなくなった旗本屋敷は広い敷地を活かして各国の大使館などに使われ、インターナショナルな雰囲気を持つ街になっています。
番町は明治から大正、昭和初期には文化人にも愛され、この地に多くの文化人が居を構えました。今も彼らの足跡をたどることができます。現在もこのエリアは高級住宅街として知られ、邸宅や大使館とともに瀟洒なマンションが立ち並んでいます。江戸時代からの歴史やこの地ゆかりの文化人が醸し出す風格が漂う番町は都内有数の落ち着きを持つ街といってよいでしょう。

江戸時代の番町という名は、将軍直轄の親衛隊的な存在だった「大番組」の人々が住んでいたことに由来しています。江戸城、皇居に隣接するエリアで、何かあればすぐ駆けつけられる地の利のため、この地が選ばれたのでしょう。現在、天皇陛下に侍する宮内庁長官と侍従長の公邸があることも、同じような理由と考えられます。
番町の高級住宅地という特色は現在に至るまで変わりません。昔から変わらない街区の中には、趣きある邸宅などが立ち並び、得も言われぬ高級感が漂っています。
また、番町界隈は、「イギリス大使館」、「ベルギー大使館」、「イスラエル大使館」など多くの国の大使館が集まるインターナショナルなエリアでもあります。特に「イギリス大使館」は番町を代表するスポットのひとつで、その重厚な佇まいの洋風建築は伝統を誇る番町ならではの風格をたたえています。

番町周辺を歩いていると気づかされるのは、文化的な施設の多さでしょう。番町の南、「最高裁判所」が建つ隼町には、歌舞伎、文楽、日本舞踊などの公演に使われ、日本の伝統文化の中心地とも言うべき「国立劇場」があります。
美術館や博物館が充実しているのも番町の特徴です。三番町には有元利夫展など特徴的な企画展示を行う「小川美術館」が、一番町にはカメラ専門の珍しい博物館である「日本カメラ博物館」があります。
また、紀尾井町のホテルニューオータニ内には「ニューオータニ美術館」があり、名門ホテルらしい優雅な雰囲気を気軽に楽しむことができます。
そのほか、紀尾井町にはクラシック専用のホールを備える「紀尾井ホール」や、日本を代表する出版社である「文藝春秋」のオフィスなど、文化が薫るスポットが充実しています。

番町は大使館が多いこともあり、ミッション系の教育施設が集まっていることも特徴です。
一番町の「女子学院中学校・高等学校」は1870(明治3)年に誕生した「A六番女学校」がルーツで、日本初のミッション系女学校として知られています。
六番町にある「雙葉中学校・高等学校」はサンモール修道会(現・幼きイエス会)が1875(明治8)年に開校した「築地語学校」が前身で、1909(明治42)年に現在地に移転し「雙葉高等女学校」となりました。
ちなみに番町を学区とする「千代田区立番町小学校」は1871(明治4)年に開設された日本最古の小学校のひとつで、長い歴史を持つ番町ならではの学校と言えるでしょう。

閑静な住宅地であった番町は、文人や音楽家など文化人からも人気を集めました。作曲家の瀧廉太郎は一番町に、歌人の与謝野晶子、与謝野鉄幹夫妻は四番町に、作家の島崎藤村や菊池寛は六番町に居を構えていました。
明治から大正、昭和初期にかけて、今も多くの人がその名を知っている文化人がこの街で暮らしていたのです。
とくに文化人が多く暮らしていたエリアは「番町文人通り」と呼ばれ、案内板などが整備されています。休日には彼らの足跡をたどり、文学散歩を楽しむのもこのエリアで暮らす楽しみになるでしょう。

皇居の隣にある番町には緑のスポットが充実していることも魅力です。近年は皇居の周囲が「皇居ランニングコース」として人気を集め、ランニングを楽しむ人の姿が絶えません。
三番町に隣接する「千鳥ヶ淵」は皇居を囲むお濠のひとつです。春になると桜が咲き乱れ、都内有数の桜の名所として知られています。「千鳥ヶ淵」を渡った先には「北の丸公園」が広がり、緑豊かな園内には「科学技術館」や「日本武道館」などの施設もあります。
さらに番町の北側には「外濠」があり、こちらも番町界隈では有数の緑のスポットとして知られています。豊かな水をたたえたお濠の周りには公園が整備されており、「千鳥ヶ淵」と並ぶ桜の名所です。
そのほか「赤坂御所」や「清水谷公園」、「ホテルニューオータニ」の日本庭園などにも緑があふれています。
- 掲載日
- 2019/03/31
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