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【戸塚】東海道の宿場街からベッドタウンに変貌を遂げた街

 
江戸方見附後

再開発など都市インフラ整備で横浜市の副都心として発展を遂げた戸塚。この街は江戸時代には東海道の宿場町として栄え、その後は行楽スポットとして人気を集めています。今も戸塚の街には当時の面影を感じられるスポットが点在しています。

 

戸塚の地名の由来といわれる「冨塚八幡宮」
冨塚八幡宮

戸塚という地名は今の「冨塚八幡宮」の境内に富属彦命の墓と伝えられる古墳があり、冨塚と呼ばれていたことに由来すると伝えられています。

「冨塚八幡宮」は誉田別命と富属彦命を祀る神社です。平安時代、源頼義と義家の親子は現在の東北地方にあたる奥州で起きた「前九年の役」を平定するために出陣しました。道中、この地で夜を明かし、夢で応神天皇(誉田別命)と富属彦命の神託を受けたことにより戦に勝利したことから、1072(延文4)年にこれらの祭神を勧請したことがはじまりとされています。

 

東海道の「戸塚宿」として発展
戸塚宿

江戸時代に入り、五街道が整備されると戸塚には東海道の日本橋から数えて5番目の宿場として「戸塚宿」が設けられました。「戸塚宿」は日本橋を朝に出発すると1日目の夜を迎える場所にあり、「戸塚宿」の旅籠の数は東海道五十三次の中で「小田原宿」に次いで多かったといわれています。

東海道が柏尾川を渡る大橋は歌川広重の「東海道五十三次戸塚宿」に描かれるなど、「戸塚宿」のシンボルとして親しまれていたといいます。また、大橋近くの「妙秀寺」には「東海道五十三次戸塚宿」に描かれている「かまくら道」の道標が移設されており、今も見ることができます。

 

行楽の地から工業の街へ、そしてベッドタウンへ
梶尾川

1887(明治20)年に「横浜」駅から「国府津」駅間の鉄道が開通し、「戸塚」駅が開業、これにより交通の中心は鉄道へと移りました。

交通アクセスの利便性が向上したこともあり、大正時代には江戸時代に植えられた柏尾川沿いの桜並木が、関東地方でも有数の桜の名所として知られるようになり、春には花見の人々が集まるようになりました。1933(昭和8)年には「戸塚」駅の東側に「戸塚競馬場」が設けられ、こちらも多くの観覧者でにぎわったといいます。

「戸塚競馬場」は1942(昭和17)年に汲沢町に移転し、跡地は米軍用地として使われた後、「日立 横浜工場」などになりました。こうして戸塚は工業都市としての機能を果たすことになります。高度経済成長期には住宅地の開発も盛んに行われ、ベッドタウンとしても発展を遂げました。

掲載日
2017/08/31

本記事は、(株)ココロマチ が情報収集し、作成したものです。記事の内容・情報に関しては、調査時点のもので変更の可能性があります。

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