インフレの時代における各不動産事業〜分野別考察

ここ数年のインフレ現象が不動産業界にどのような影響を与えているでしょうか。現在、不動産ビジネスは多岐に渡っています。そこでセクター別にインフレがどのように影響を及ぼしているのか考察して参ります。

Ⅰ.近年における消費者物価指数の上昇

2025年1月24日、日銀から「経済・物価情勢の展望」として直近の消費者物価指数の状況と今後の予想が発表されました。これには「物価の先行きを展望すると、消費者物価(除く生鮮食品)の前年比は、2024年度2%台後半でした。2025年度に2%台半ばとなったあと、2026年度は概ね2%程度となると予想される」とあります。

また、これまでの消費者物価指数が3年連続で2%を超えたのは、30年ぶりだそうです。 実際、我々が普段生活を営む上でも、電気代、ガス代、ガソリン代といったエネルギー価格だけでなく、その他多くのサービスや商品価格が値上がりしていることを感じます。

さらに、こういったものだけでなく、同時に各業種における人件費も上昇してきています。

近年の不動産ビジネスは、ビル事業や住宅事業だけでなく、ホテル事業や物流施設事業へと水平に事業分野を拡大して来ました。各事業は、それぞれにインフレの影響を受けて来ています。そこで今回、不動産ビジネスの分野別に現在どのような状況にあるのかを考察していきます。

Ⅱ.ホテル事業はインフレに強い

各不動産会社は、新型コロナ禍以前よりインバウンドの増加に伴いホテル事業を拡大して参りました。そしてホテル事業を不動産ビジネスにおける成長分野として位置づけている企業も少なくありません。
そこで、先ずはこのホテル事業における昨今のインフレの影響を考察していきます。

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インフレ下の不動産賃貸業においては、水道光熱費や人件費等の維持・管理にかかる費用の上昇を如何に賃料の値上げによって補えるかといった課題がありますが、賃貸借契約においては、賃料の値上げには当然ながら賃借人の同意が必要となりますので各種経費が値上がりしたことを原因として、一方的に賃料を値上げすることはなかなか容易ではありません。
また、そのタイミングも賃貸借契約上の「更新時」に行うことが一般的です。

一方、ホテル事業はインフレの時代において非常にフレキシブルに賃料(宿泊料)を変更できる業種と言えます。
特に昨今は「ダイナミックプライシング」と呼ばれる、宿泊料が日々変動する方式を採用している宿泊施設が増えています。
これは、平日と週末と言った単純な需要の差異だけではなく、一年を通じての繁忙期、閑散期の判断、過去の事例や周辺宿泊施設の空室率や賃料水準、天気の予想、近隣エリアでのスポーツイベントや大規模コンサート情報等々に応じて総合的に最善の宿泊費を設定する仕組みで、現在ではAIも活用し、より精密な価格設定が行われています。

以前、個人的な体験としても、このようなことがありました。ある週末、ある地方都市のビジネスホテルの予約を試みたところ、通常より宿泊費が約二倍に設定されていたのです。かつ空き部屋が極めて少ないといったことに気が付きました。これは、ある人気グループのコンサートがホテル近くのドーム球場で行われるということが原因であったことが後に分かりました。

また昨今、新型コロナ禍が明け、海外からの渡航が自由になり、かつ円安の影響により海外から大量の旅行者が日本全国へ訪れています。
結果、大都市や有名リゾート地のホテルでの需要と供給の状況に応じて、宿泊料は軒並み高くなっているのです。

一方、インフレの影響は、ホテル等で働く雇用者を確保することにおいて、費用の上昇を招いている現状があります。
実は、新型コロナが蔓延する以前から、地域によっては人手不足の問題が起きていました。
特に、都市部から離れたエリアでは、部屋のベットメイキンングや清掃の業務に従事する方の不足が問題になり、一部に稼働できる客室を制限しているホテルが存在しました。
インバウンドを中心とした来日観光ブームが再来した現在でも、ホテル業界に人材が戻りきらず、都市部においてもこういった人手不足の問題は課題となっています。
この問題を解消するために、ホテル事業者側としては、自社か外部委託先かを問わず、雇用者の待遇の改善をはかる必要が出てきています。

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今現在、ホテル事業において宿泊料の上昇が、この人件費を含む経費の上昇をカバーできるのかどうかがポイントになっています。
人材確保の問題はどの業界でも存在しますが、ホテル事業においては、稼働できる部屋数に直結する問題とも言えます。
如何に必要にして十分な人材を確保できるか、各社様々な工夫を図っています。

Ⅲ.住居系賃貸事業は賃料上昇傾向

近年、賃貸マンション等の住居系賃貸物件の運営において、東京都心部の賃料上昇傾向が顕著です。これは新築マンションの分譲戸数の減少やマンション価格の高騰がその要因にもなっていると言われています。
首都圏における新築マンション分譲戸数は15年前には1年間で約4.5万戸でしたが、2024年には約2.3万戸と半減しています。
こういった影響もあって東京中心部の築年数の浅いマンションの賃料は上昇傾向にあります。
実際に2年毎の更新時に家賃を値上げできるケースが目立っています。
立地がよく築年数の浅い賃貸物件の賃料の上昇傾向は、事業者にとっては良いインフレ傾向にあると言えます。

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また、賃貸住宅の運営は外部の管理会社へ委託することが一般的ですが、やはりインフレにより維持管理費の上昇や委託料の上昇で影響を受けることになります。ただし、提供サービスの多いホテルに比べて人件費や維持管理にかかる経費の割合は少ないといえます。

また、建物を長期に渡り維持していくために行う各種大規模修繕費用に関しては、昨今の人件費や建築資材の値上がりによって影響を受けています。5年前、10年前に比べ修繕コストは上昇傾向にあると言えます。

大規模修繕費用の具体的な内容としては、外壁の修繕工事、屋上の防水加工工事、その他非常階段の鉄骨部分の再塗装等々の費用がこれに当たります。またエレベーター等の大型主要部品交換費用も部品価格の上昇によってコストアップとなっています。
こういった大規模修繕と言われるものは、おおよそ10年から15年毎に行われます。よって、短期的に見れば、賃貸住宅事業の業績に与える影響は今のところ軽微ととらえられています。

Ⅳ.ビル事業における維持管理費の値上げ問題

ビル事業においても、先の賃貸マンション等の賃貸事業同様に、管理は外部の管理会社へ委託しています。よって今現在人材難や人件費の上昇が直接ビル経営事業を圧迫しているといった事態には至っておりません。
しかし長期的に見れば委託先である管理会社の人材難や人件費の上昇によって、管理費自体のコストの上昇も予想されます。

またビルの場合、住居系の施設に比べ、エントランスホール等々の共用部分の割合やスペースが大きいことが特徴ですが、このことにより照明や空調、複数のエレベーターを稼働させる上での電気代等のコストアップの影響を受けています。
また、防犯対策として配置している警備員の人件費も上昇しています。
よって、やはりこれら経費の上昇を上回る賃料の上昇を見込めるかといったことが課題となっています。都心部の新しいビルにおいては、足元で賃料上昇が見られていますが、築年の経過した古いビルでは、修繕・リニューアル費が上昇に伴い、手を打てないようだと賃料の上昇が難しくなるだけでなく、テナント退去のリスクもあります。

Ⅴ.24時間稼働の物流倉庫・物流センターのコスト上昇と賃料転化

物流倉庫とは、従来は商品を貯蔵・保管することを目的に建設される大型の倉庫のことです。また現在ではAmazon等の通販大手が使用するような倉庫は、単に商品を保管するだけでなく、商品の値付けや梱包といった総合的なサービスを提供しています。これらを本記事では物流センターと呼ぶことにします。

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特に新型コロナ禍において外出を控えたり、在宅勤務が増えたことにより、通販の需要が急激に増しました。このことにより、物流センターを含む物流倉庫の需要が大きく増加しました。各不動産会社や外資系ファンド、建設会社等からの参入が相次いでいます。

一方、大型の物流センターを建てる用地としては、人口が密集する都市部に近く、また物流上の利便性から各高速道路のインターチェンジの近くが望ましいとされています。しかしながら高速道路インターチェンジの近隣エリアに(物流センターとしての適正規模である)約1万坪を超えるようなまとまった大規模な敷地は少なく、元々農地等が混在する地域であったのが現状でした。

そこで、そういった土地を所有する数十名の地権者から土地を取得し、大規模な建設用地にまとめることは物理的にも、開発許認可を取得する上でも相当なマンパワーと時間と費用がかかるとされています。よって、ある時期までは物流倉庫、物流センターにおける供給が需要に追いつかず、稼働率が高い状態で安定し、かつ賃料水準も高く維持されてきました。

このような新たに新設された最新型の物流倉庫は通常24時間稼働しています。その結果、電気、ガス、水道等も24時間継続的に使用されています。また、そこで働く方々も24時間を交代で勤務しているといった現状があります。
よって昨今のエネルギーコストの上昇や人件費の値上げは、最新型の物流倉庫において経費増となっています。
こういった倉庫運営上の経費を借主が負担するのか、貸主が負担するのかは契約形態によって異なりますが、どちらにしても経費の上昇分は貸主であれば賃料へ転化するか、借主であれば、エンドユーザーへのサービス料へ転化するか、または賃借料の削減要求の要因となります。

貸主サイドとしても、こういった経費の増加分を賃料に容易に転化できるかと言えば、その値上げ交渉は必ずしも簡単ではなくなってきています。

その理由として、近年における物流倉庫の建設ラッシュが挙げられます。現在、東京都心から40〜60キロの距離に環状線上の「圏央道」と呼ばれる高速道路が一部を残して開通するに至りました。この圏央道の開通と同時に新設された複数のインターチェンジの周辺に新たに物流センターが次々に開業したことにより、同エリアの空室率が徐々に上昇してきました。

さらに、物流倉庫業特有の賃料における「上限値」が存在する点も賃料交渉の壁となっています。
この辺りが前述のホテルなどに比べますと賃料のアップサイドにおける柔軟性が欠けるとも言えます。
現在外環道から東京湾岸の築年数が新しい大型物流倉庫では、坪賃料が5,000円から7,000円というのが相場となっています。(例外的に、東京の中心部に近いエリアではまだまだ需要が強く、また新たな物件の開発も難しいことから、賃料も高く設定可能なエリアも存在します。)

また、この物流センターを運営する立場から問題になってきているのが、やはり人材確保の問題です。
東京の中心部から遠く離れ、交通の利便性も悪い物流倉庫では人材を確保すること自体が容易ではないという問題が出てきます。
結果として、人材を確保し易い立地にある物流倉庫が選ばれる傾向が強くなってきており、そういった点も考慮され、貸し出し賃料が決まっていく傾向が出てきました。

Ⅵ.不動産業界でも人材確保の重要性が増している

以上のように、インフレは各不動産事業に影響を与えてきています。プラスの影響を受ける事業では、宿泊料や賃料の上昇が期待される反面、人件費や様々な運営費用の上昇は前述の通り課題となっているのが現状です。さらに、今は人手不足が重なり、「如何に人を採用し、定着して働いてもらうか」といったことが大きな課題であり、必ずしも給与を上げたからといって良い人材が集められるとも言い切れません。
やはり、不動産事業においても、そもそも人を採用しやすい立地であるかどうかが以前に比べ重要になってきたようです。
不動産業界では「不動産は立地が重要である」と長きに渡り言われて参りましたが、これは立地の良し悪しが、そこで得られる収益力(賃料)を左右するといった意味でした。しかし、昨今は「人材の採用面」においても極めて重要なファクターとなってきています。

長谷川 高(はせがわ たかし)

株式会社長谷川不動産経済社代表

東京都立川市生まれ。立教大学経済学部経済学科卒。株式会社長谷川不動産経済社代表。大手デベロッパーにてビル・ マンション企画開発事業、都市開発事業に携わったのち、1996年に独立。以来一貫して個人・法人の不動産と賃貸経営に関するコンサルティング、顧問業務を行う。顧問先は会社経営者から上場企業まで多数。一方、メディアへの出演や講演活動を通じて、不動産全般について誰にでも解り易く解説。 著書に『家を買いたくなったら』『はじめての不動産投資』(共にWAVE出版)、『厳しい時代を生き抜くための逆張り的投資術』(廣済堂出版) 『不動産2.0』(イースト・プレス)など。

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