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家ココチ[Vol.12] シニアのココチ 「スペース要らずの庭づくり」
「マンションのベランダのように、スペースがあまりない場所でも庭づくりは楽しめる」と語るのは、世界的に著名なランドスケープデザイナーであり、禅僧でもある枡野俊明さん。人間が土に触れたくなるのは当然の摂理。いつでも、誰でも、どこでも庭づくりは始められます。草花の芽吹きや季節を、体で感じながら、あなた自身を庭という空間に表現してみませんか?
Profile
枡野俊明
(ますの しゅんみょう)
曹洞宗徳雄山建功寺住職。庭園デザイナー(日本造園設計代表)。
多摩美術大学環境デザイン学科教授。翠風荘(茨城県)、カナダ大使館、セルリアンタワー東急ホテル、ベルゲン大学庭園(ノルウェー)など、庭園デザイン作品多数。芸術選奨文部大臣新人賞、ドイツ連邦共和国功労勲章受章、カナダ総督褒章ほか。
著書に『禅の庭―枡野俊明の世界』(毎日新聞社)ほか。

Kokochi01 “情報”ではなく“体”で季節を感じたい
翠風荘「無心庭」
庭園と建物を一から設計することで、訪れる人を無心に導く、大自然の静寂を大胆に表現した。

横浜の禅寺で住職を務める枡野俊明さんは、最近特に、定年後に庭づくりを始めたという話を、檀家さんから聞くことが増えたと言います。
「今まで商社や銀行、テレビ局などでバリバリ働いていた方で、定年を迎え、庭や菜園を始めたという方は多いですね。聞くと、前からやってみたかったんだ、と。植物や季節の移り変わりを自分の目と肉体で体感したいと思うのは人間の本質でしてね。とても自然なことなんですよ」

人は土と向き合うなかで、木の芽吹きや風の湿り具合により草花を植えるタイミングを自然に体得していきます。24時間、室温の調整された、季節の分からないビルの中で働いてきた人ほど、情報で知るのではなく、体で季節を感じとりたくなるのでしょう、と枡野さんは推測します。
「南風が吹けば、それを受けて植物は芽を出す。雨が降れば、水分をグッと吸って成長する。そうやって物事の道理を庭から学んでいくのです。そうしていくうちに、今まで自分の周りにあったものが本当に大事かどうか、実はそれほど大事ではなかったのではないか、と新たな価値観に気づくかもしれません」

庭だけでなく畑や菜園も同じ。つまり、空や風の機嫌をはかりながら、五感を研ぎ澄まして土と向き合う過程には、自分の価値観が変わるほどの大きな発見や学びのヒントが潜んでいるというわけです。

Kokochi02 庭を眺めるのは坐禅を組むのと同じこと
セルリアンタワー東急ホテル
日本庭園「閑坐庭」

渋谷に位置し、庭園はホテルの4階。仕事の合間に、ひとり静かに自然と対峙できるような大人の庭を演出。人工地盤上のため、土や石の過重に腐心したという。

「庭を眺めていると、ほっと自分に返るような感覚はありませんか? 実際に、呼吸が整い、体調も良くなります。庭を眺めることは、坐禅を組むのと同じだと私は思うのです。心が安まって睡眠と同じ状態だと」

心が落ち着くと、坐禅と同様に、自分が客観的に見えてきます。

20世紀という時代は、大量生産・大量消費に追われてきました。しかし、モノは豊かになったけれど、果たしてそれが幸福につながっているのか? 禅僧と同時に、世界を舞台に庭園デザインを手がけるランドスケープデザイナーでもある枡野さんは、庭づくりが今ほど求められている時代はないだろうと語ります。
「これは日本だけでなく、ヨーロッパやアメリカなど、世界の国々に言えることですが、“モノだけでなく、心が満たされないと人は幸福にはなれない”と、みな気づき始めているのです。モノを追いかけるのは、“執着”の世界。しかし、庭いじりなどをしていると、自分も自然の中の一部であると気づきます。やっと咲いた小さな花一輪に、買った花では得られない喜びを感じる。風がそよぎ、枝が揺れ、その中に生きていることの無常を知る。庭と一体化しながら、“無心”の世界を知るのです」

庭は、執着から無心の世界にわたる大きなチャンス。だからこそ、今、これほどガーデニングがブームとして継続し、多くの人を魅了しているのでしょう。
「ベランダの小さなプランターひとつでも、どんなに小さな庭でも、自分でつくれば愛着が生まれます。花が咲けば嬉しいし、どんなふうに見えるか、気になってきます。次はこうしよう、ああしよう、と工夫をする。そこに創造の喜びが加わるのです。いずれをとっても、庭はその人そのもの。生き様を映す鏡のようなもので、禅的に言うと自分の心の安らぎを表現する場であり、自己の表現のひとつなのです」

Kokochi03 庭がなくても始められる!?
S邸"rifugio"坪庭 『正受庭』
家の内にいながら外の自然と交感できるという坪庭。「我は自然なり、自然は我なり」ということを体感できるように、との思いが込められている。

では、実際に何から始めればいいのでしょう?
「とっかかりは、真似でも何でもいいんですよ。無常の庭は、日本人が千年以上培ってきた価値観であり、私たちの体の中に、まだDNAとして残っているはずです。ですから、まずはトライしてみること。鉢植えひとつから始めてもいいし、マンションのベランダさえもないという方は、窓に障子やスクリーンを入れるだけでもいい。そこに当たる光の変化を楽しんでください。光の調子や畳に当たる影も季節で変わるし、一日の中でも変化があって楽しいですよ。窓の向こうに隣家の緑が見えたら、障子越しに緑の影を楽しんではどうでしょう。あるときは全部淡い緑になったかと思うと、あるときは紅葉で真っ赤になります。障子越しの赤い影は、それは息をのむほど美しいものです」

要はその美しさに気づくか、気づかないか。枡野さんは、陰影まで愛でる日本家屋の、計算され尽くした空間の美しさを教えてくれます。

また、土をいじり、手をかけたものには、結果がともない、いつまでもカタチとして残る点も庭づくりの楽しみのひとつと言えます。
「自分がこの世を去っても、例えば孫が『おじいちゃんはこの花が好きだったんだね』とか、『一番良いところに植えてあるから、この木を気に入ってたんだね』とか。庭は生き様を映すから、時間を越えて“その人”を伝え、眺める側は“その人”を知ることができる。そういう意味でも尽きせぬ魅力がありますね」

でも、初心者がいきなり庭づくりや、植物を育てるのは難しくないのでしょうか。素朴な質問に、枡野さんは穏やかにほほ笑みながら答えました。
「大丈夫。植物には失敗がないのです。本当は植物にはそれぞれ表と裏がありますが、太陽に向かって補正しながら、自分で育ってくれますよ。まずは始めること。自分の体を動かすことが、すべての第一歩です」

取材・文 大平一枝/暮らしの柄
写真 田畑みなお


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