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不動産コラム
 Vol.166(H19.1.17)  


■ 阪神大震災から12年


今日1/17は阪神大震災のあった日です。あれから12年。一回りした猪年ということになります。昨年は、耐震偽装問題で、改めて地震に対する様々な課題が提示された年となりました。12年前のあの日、震度7の真っ只中に居た私自身の体験から、生活目線での地震時の検証をしてみたいと思います。この内容は、あくまで個人的な記述として読んでいただきますようお願いします。


あの震災を改めて思い起こす時、4つのテーマで振り返って列挙しておきたいと思います。ちなみに、私の当時の住まいは、新耐震マンションの2階でしたので、震度7でも倒壊の恐れは感じませんでした。

□地震発生直後の状況から
地震発生時は、家具が転倒する、テレビが飛ぶ、じっとうずくまっているだけ。
隣に寝ているはずの子供の場所に「タンス」が寝ていたという話は多い。
大きくゆれるまでの間に2,3秒の余裕はあるが、何かその間に作業をするというのはまず無理。
当時は暗くて室内の様子はすぐにはわからなかったが、後で気がつくと「ガラス」が飛散していた。
ドアの内側の家具の転倒により、洋室の扉が開けられない事態が起こり得る。
電気は当分つかないし、懐中電灯の場所はすぐには探せない。
駐車場の自動車は、暖をとったり、ラジオの情報を聞いたりできるので有効だった(移動は困難)
渦中の人間は、情報遮断される可能性が高い。
知人や会社への連絡は、なるべく早く取るほうが良い。(時間がたつと回線が利用できなくなる)
マンションでも隣の住人の安否確認ができる程度の面識は欲しい。
慌てて外に出るか、中に留まっているかは、家の状況による。

□その後の状況
電気の開通はその日のうちに来た。水道やガスは、1ヶ月半くらいかかった。
カセットコンロは湯沸しや食事をするには有効。風呂には当分入れない。
3日目から近くに給水車が来てくれた(清水市水道局)。ポリタンクがないと運べない。
エレベーターはしばらく使えないと思っている方が良い。高層階は階段が大変。
最も困るのは、トイレの水。ポリタンクの水はほとんどトイレを流すために使う。
トイレの水はちゃんとした量を流すこと。マンションの場合、配管が詰まってしまうリスクがある。
病気の人には対応が難しい状況が予想される。薬等の予備は常備しておきたい。

□地震に対する備え
阪神の場合、食事に困ることはあまり無かったようだ。3日分の備蓄があればほぼ良かった。
電気による暖房が可能な様にしておきたい。(ガスはなかなか来ないので)
トイレに対する備えを何か考えておきたい。

□建物について
新耐震建築は、人命を守る事を目標として設計している。建物の損傷はある程度やむを得ない。
昼間の地震に対する検証はなされていない。(阪神は最も被害の程度が少なかったとも言える)
4、5日間は余震の度に怯えた。(それまでは震度4程度の地震に対する自信があったが・・)
リスクが高いのは、重たい瓦屋根の家や、ピロティ形式のマンション。
余震で倒れた建物もあるので、地震の瞬間持ちこたえても建物によっては安心は出来ない。
増改築によって建物の構造バランスが崩れることがあるので、新耐震でも要注意。

※学術的には様々な検証があるようですが、そもそも阪神大震災そのものが起こることが一般的には予想されていなかったものであり、首都圏でも何が起こってもおかしくないと考えておくべきでしょう。こういう私自身が「備え」を維持しつづけるのは難しいと感じています。










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