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『思い出がぎゅっと!つまった家』あけりんさん(奈良県)

わが家は狭かった。祖母を入れて6人家族。小さな家で、ウヨウヨとひしめき、衝突ばかりしていた。この家を出たいと、そればかり考え、やっと、その小さくて狭くて汚い家を出た時は、ほっとした。

しかし、直ぐ気が付いた。あの家で家族みんながイライラして喧嘩ばかりしていたと思っていたが、その家はとても、温かく家族みんなが、寄り添い暮らしていた。

小さな卓袱台に膝を寄せ合い、動かすと肘が当たるそんな食卓だった。でも、常に6人全員で夕飯を食べた。

思い出せば、数限りなく出て来る懐かしい光景がそこにはあった。その家で暮らしている時は、どうして分からなかった?こんなにも心に残る思い出が私の中にあったなんて!

そして嫁いで5年後、遂に念願の家が建った。義父母と共に暮らす二世帯住宅、私的には、御殿のような家だった。何もかも、ピッカピカ、夢のような世界、台所は使うのを躊躇するような美しさ。居間に座るのも、なんだか、畏れ多く、お客様のようにちょこんと座る。なんだか、妙に落ち着かない、まるで、旅館の一室のような部屋で暮らしが始まった。

だが、子供達はまだ小さい。私の大事な大事な宝物の家の中で、何の躊躇もなく、暴れまくる。「あ~止めて!!」と、叫びたい。しかし、私の憧れの家だけれど、あの子達にとって、ただの家に過ぎない。家族団欒安らぐ楽しい家にするのが、母であり、妻である私の役目と、心を切り替える。

お友達を呼んで誕生日会、子供達と一緒にケーキを作ってクリスマスを楽しんだり、年末には餅つきをするなど、賑やかにワイワイガヤガヤ笑い声が絶えない家になった。

当然家は、長い年月で痛み、疵付き、ボロボロになってしまった。あんなに美しかった壁も障子も襖も、月日の流れと共に無残な姿。

しかし、どれもこれも、子育てと言う戦いの後、私にとっては、まるで勲章のような物。箪笥に貼り付けたシール、壁の落書き、そして、反抗期に押入れの戸を叩きへこました。

他人から見れば、汚れてきたない家にしか見えないが、私には、やはり、掛け替えのない家になった。

思い出がてんこ盛り、ぎゅっと詰まっている。

子供達は、それぞれ独立し、さっさと、家を出て行ってしまったが、家の中で振り返れば、「おかあさん!おかあさん!」と、呼ぶ声が聞こえる。つくづく幸せだったなと、思う。

子供達にとっても、大切な思い出がいっぱいある家、宝物と思ってくれていたら、嬉しいなあ。

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