子どもが生まれ、「わが家」を手に入れる決意をした。エレベーターで上下しなくても、気軽にベビーカーで散歩できる夢を思い描いていたからだ。
しかし現実は厳しかった。当時、平成不況で住宅価格そのものは底値だったが、適当な場所で手に入れられる価格帯の家がなかなか見つからなかった。
というのも、妻とわたしの勤務場所、両家の親が住んでいる地域を考慮に入れる必要があったのだ。
週末の物件めぐりを繰り返し、最後には購入をあきらめようかと思いかけていた矢先、「ただいま値引きセール中」という、まるでスーパーマーケットの特売のような物件との出会いによって、ようやくわたしたちは「わが家」を手に入れることができた。
いったい何が気に入ったのか。まずは、閑静な住宅街に位置する南向きの家であったこと。
そして、2階建てでベランダ付きのおしゃれな外見と、ロフトや屋根裏、さらには階段下などに充実した収納スペースの設けられていたところ。玄関の吹き抜けも明るくて最高の気分であった。
こうして大満足で契約した「わが家」だったのだが、意外や意外。悲劇は引っ越し当日に発生した。
キッチンに冷蔵庫が入らなかったのだ。キッチンが狭すぎたのである。
キッチンへ搬入できなかった冷蔵庫は、結局、玄関に置かれたままとなってしまった。せっかくの吹き抜けも台無しの状態であった。
この冷蔵庫、結婚した時にふたりで選んだ妻お気に入りのものだっただけに、妻のショックは大きく、「なんで、こんな家を選んじゃったのかなあ」と愚痴まで出る始末。
とは言うものの、高価な「わが家」を不意にすることもできず、そもそもキッチンが狭いことを除けば、大満足の住まいなだけに、冷蔵庫の処分と新しい冷蔵庫の購入ということになった。
「ねえ、このキッチン。調理場からリビングの子どもの様子が見えない構造なの」。
出だしでケチの付いたキッチンは、それ以降も何かと目の敵にされた。
そんなこんなで数年。娘の成長と、妻の職場での配置転換により、ついにわたしがイクメンパパとしてデビューすることとなった。
初めてのキッチン。しかも、悪評高き狭さ。わたしの不安はマックスであった。
が、しかし。狭いというのは裏を返せば、何でもほぼ手の届く範囲にあることであり、炊飯器も電子レンジも冷蔵庫も、そしてコンロもシンクも果ては食洗器に至るまで、イクメンパパにはありがたい動線を確保してくれた。
また、調理場からリビングが見えない、つまり、リビングからも調理場が見えないので、小学生の娘は、「ねえ、パパ」と言いながら、頻繁にお料理中のわたしを覗きに来た。
その効果があってか、最近では「わたしもお料理手伝いたいな」と、パパ泣かせのことまで口にするようになった。
もちろんわたしの返事は、「ウェルカム!」。狭いキッチンに、ふたり並んでのお料理が、いつしか日常となった。
娘が切る、わたしが焼く、娘が盛り付けて運ぶ。狭いが故の連繋プレーも板に付いてきた。
ふたりがキッチンで楽しそうにしているので、妻も「機能的なキッチンだったということね」なんて言いながら、「お気に入りのごみ箱があったから、買ってキッチンに置こうかな」なんて笑っている。
わたしたち家族にとって、キッチンはかけがえのない空間へと変貌を遂げたのである。
バレンタインのパパへのチョコレートも、妻と娘がキッチンでつくってくれた。
また、家族旅行に出かけても、「あのお皿、デザートを盛り付けるのにいいんじゃない」とか、「冷蔵庫のマグネットに買おうよ」と、お留守番のキッチンへのお土産(?)が話題になることもしばしばである。
そんなとき、わたしは心の中でキッチンに呟いている。
「いっぱいいっぱい悪口を言ってごめんね」と。
そして、「ありがとう。これからもよろしくお願いしますね」と。
いつまでも大切に守り、使い続けていきたい「わが家」である。