『帰るところが有るから、私は出て行きます。』
長女はたった一言、言い残してブラジルへ渡った。
もう、22年前の出来事。
築43年の我が家。
両親が中古資材で建てた田舎の一軒家。
庭には小さな菜園。古いベットで作ったテーブルセット。
老いた鯉が泳ぐ小さな小さな池。
そして、何十年も変わらない両親の姿。
姉は数年に一度だけ帰国する。『ただいま!』を言う。
そして、『じゃあね』とだけ言ってブラジルへ帰る。
一度も『行ってきます』とは言わなかった。
東日本大震災。
遠いブラジルへ我が家の安否を知らせる手段が無かった。
周辺が落ち着いた頃、姉から電話が来た。
『家は?ねぇ家は大丈夫なの?』
両親の心配は?一瞬カチンときた。
幸い、家族も家も無事だった。
素人設計の我が家。無傷だったのは奇跡。
とはいえ、姉には親を思う気持ちが有るのだろうか?
私は、心底悲しい気持になった。
早朝の庭。両親が2人でコーヒーを飲んでいた。
『なぁ。優子は家の心配をしてくれたなぁ』
『えぇ。本当に信じられませんね。』
『嬉しい事もあるもんだ』
私は耳を疑った。
両親の心配より家の心配をした姉に“嬉しい”ですって?
それから2年後。
ブラジルの姉が帰国した。
『ただいまぁ!良かったぁ。帰る家があったね。本当にありがとう。』
姉が家に着くなり言った言葉。
『ありがとう』その一言で私はハッとした。
家。
姉がブラジルへ渡った時の言葉がズシンと心に響いた。