築十五年の我が家は今年、外壁や水回り等のリフォームを予定している。
そうした中、一か所だけは家族のたっての希望で手を加えないことにした場所がある。
それは一階の廊下の壁、手あかで黒ずみ、大きくへこんだ壁紙の修理だ。
なぜならその黒ずみ、へこんだ壁は、我が家の主、父の生きた証そのものだからだ。
一昨年の冬、六十代の父は重い病で医師から半年の余命宣告を受けた。
本人の希望で、自宅と通院での治療を続けることになった。
寝室にはリクライニングのベッドが置かれ、廊下には手すりもつけられた。
そうして一階の寝室からトイレや浴室までの移動が、父の負担にならないよう準備が整えられていった。
ところが、薬の副作用もあり食事もままならない父は、みるみる痩せ衰えていき、次第に歩行も困難になっていった。
それでも父は、残された時間を家で過ごしたいと入院を拒み、自宅での治療を続けた。
六人兄弟の四番目として育った父は、子供のころから自分だけの部屋をもったことがなく、広い大きな一戸建てに強い憧れをもっていたと、家を新築した際に語っていた。
それゆえ人一倍、新築一戸建てに執着があり、今の家も二世帯住宅にするため購入した、二軒目の我が家だ。
定年退職をむかえてからも嘱託として働きづめだった父は、寝るためだけに家にいるようなものだった。
ようやく嘱託勤めも終え、一日中、大好きな我が家にいることができるようになった父。
その矢先に発病した父の気持ちを考えれば、自宅での治療にこだわる理由が家族には痛いほどわかっていた。
それでも自宅での治療は日に日に限界へと近づいていった。
手すりや支えがあっても父はベッドから起き上がることもままならず、病状は進行していった。
昼夜と連日続く看護に、家族の負担も限界に達していた。そしてとうとう検診に来た医師から入院させるよう言い渡された。
すると父は突然、ベッドの手すりを両手でつかみ、「みてください」と上半身を起こし始めた。
家族や医師が止めるのも制して「大丈夫だよ」と痩せ細った足でベッドから立ち上がった。
実に一カ月ぶりの快挙だった。
さらに父は誰の手を借りることなく、自らの足で一歩、二歩と歩き進み、見守るわたしたちに笑顔を浮かべて言った。
「ここはわたしの家ですから。入院はしない」
そうした父の気迫に負け、わたしたちは自宅での治療を続ける道を選択することにした。
そしてその日以来父は、壁に手をつきながらでも一人で歩けるようにリハビリを開始した。
その勢いは、父が奇跡的に回復するのではないかとさえ思えるほどだった。
ところがそれから一週間後の夜、ドタッという激しい音とともに父が廊下で倒れ、意識不明のまま病院へ搬送された。
父が再び大好きな我が家にかえってきたのは、それから数日後、棺に運ばれてのことだった。
二階のリビングは日当たりがよく、父が生前大好きだった一部屋だ。
病気になってから何度となく「二階にいきたい」と願っていたリビングに今、父の遺影が飾られている。
一階の廊下の壁には、父が頭を強く打ちつけた跡が今でもくっきり残っている。
壁紙には、父が最期の力を振り絞って必死に歩いた証が、しっかり残っている。
そうした壁の傷や汚れを見るたびに、辛く苦しかった父の闘病生活が思い出され、胸が締め付けられる。
だが同時に、父と過ごした我が家での愛すべき楽しい思い出も鮮明に蘇ってくる。
父が愛してやまなかった我が家は、主を失ってもなお、生き続けている。
父のたくさんの思い出とともに。