「お母さん、これが陣痛なのかな?」
夜中の三時、腹部に経験したことのない違和感があり、隣に寝ている母を起こす。
出産のため、私は東北の実家にいる。予定日が近づき、万が一のために母と布団を並べて眠る日が続いていた。
「一応病院に電話するべ。」
看護師は、持病があるため早めに来るよう指示した。
難病患者の私が妊娠したものだから、特に慎重なのだ。
夜明け頃、父の運転する車で病院に向かう。
初産だが、家族がいるおかげで落ち着いていた。
アパートで夫と二人きりなら、もっと焦っていたかもしれない。
診断の結果、前兆だけだったため、両親は引き返した。
私は個室に入り、体力をつけようと朝食を取ろうとした。
その時、本格的な陣痛が私を襲う。
「もうすぐですよ!」
助産師の励ましはありがたいが、もう一分も耐えられない。
世の母親が全員強者に思えてくる。
痛みの中、夫の顔を思い浮かべる。
病気の私を笑顔で支え、仕事にも真剣な夫。
愚痴を聞いたことはない。
彼のためにも出産という大仕事は、私が全うしなければ。
全身に、大きな痛みの波が来たその時。
「おぎゃあ!おぎゃあ!」。
あらかじめ決めていた娘の名を、恐る恐る呼ぶ。
経験したことのない、くすぐったさだ。
すぐに娘を抱いたが、涙でぼやける。
腕の中の小さなぬくもりを、そっと胸に引き寄せ確かめた。
周りの心配をよそに、安産だった。
親戚や友人が、大量のお守りをくれたおかげもある。
歩けるほどまで落ち着くと、娘を移動式ベットに乗せて分娩室を出た。
十ヵ月ぶりに軽くなった体に浮かれる。
一人で出た病室に、二人で帰る不思議な感覚がある。
ドアの向こうには、両親の笑顔が待っていた。
「来たらもう生まれるって言うし、あなたは歩いてくるし、びっくりしたわ!」
そう言い母は、私の身の回りの世話をせっせと始める。
孫の誕生に、いてもたってもいられないようで、親戚に報告しに行った。
静かな部屋で、改めて娘を抱く。
懸命に息をする姿を見て、父の前なのにぼろぼろと涙が出た。
「病気がある私でも、親になれたよ。」
父も少し目頭が熱くなったようだった。
「この子は宝物だな。」
優しく笑って、小さな頬をそっとなでた。
初めての授乳やおむつ替えに悪戦苦闘しながらも、母子ともに体調は良く、あっという間に退院した。
家に戻り、四人暮らしのスタートだ。
「おぎゃー!おぎゃー!」
小さな体からは、想像できないほどの大きな声が、四六時中響き渡る。産後の体を気遣い、父も母も飽きずにあやしてくれた。
友達や親戚が、娘に会いに来てくれる日々が続く。
リビングだけではなく、和室に普段は使わない座布団も増やすほどの、来客の多さだ。
盛り上がる反面、私の心の中には不安が芽生えてきていた。
夫しかいない都会のアパートへ帰る事を、想像できなくなっていったのだ。
仕事で忙しい夫は、帰りも遅く休みも少ない。寂しい子育て生活が目に浮かぶ。
今はお風呂も買い物も手伝ってもらえるが、今後一人でやっていけるのだろうか。
夫の元へ帰る前夜、悩みを母にだけ打ち明けた。
母は頷きながら全てを聞いてくれた後、優しく諭した。
「いつ遊びに来たっていい。でも結婚したんだから、旦那さんのいる場所が、あなたの家なんだよ。」
はっとした。自分の甘えに気がついたのだ。
少し寂しい気もしたが、その言葉には、一度娘を嫁に出した親の覚悟が感じられた。
親元を離れて、就職、結婚を経たことで一丁前に自立した気になっていた。
しかし、そこには確かに親離れしきれていない自分がいた。
知り合いも沢山いて、居心地の良い広い家には、手助けしてくれる両親がいる。
私は一度出たはずの故郷に、再び安住し始めていたのだ。
結婚した時誓ったではないか。どんなことがあっても、互いに支え合うと。
腕の中の娘を見る。私が愛する優しい人に、目も鼻もそっくりだ。
もっとしっかりしなくては。改めて、私は母になった気がした。
娘ももうすぐ2歳になる。
お盆やお正月などの節目しか帰省はできないが、里帰りのたびに思う。
私は確かにここで生まれ育った。
それでも今私が「我が家」と呼べるのは、夫の元だけなのだ。
我が家とは、自分で作り上げた家庭の事を呼ぶのかもしれない。
時に甘えることもある。しかし、これからは、お世話になった両親や故郷に恩返しする番がきたのだ。
まだまだ何も返せていないが、娘を大事に育てることが、ひとまず孝行だと思っている。
色んな意味で、命の誕生というのは、人を大人にしてくれるものだ。
冬には娘とスノーブーツを履き、遊びながら家のまわりの雪かきをする。
「もうすぐみんなが来るわよー。」
玄関から、母が二人を呼ぶ声がした。