「ありがとう、わたしの家」賞

5名様:JCB ギフトカード1万円分

私のいるべき場所

ぱんまろさん

「お母さん、これが陣痛なのかな?」
夜中の三時、腹部に経験したことのない違和感があり、隣に寝ている母を起こす。
出産のため、私は東北の実家にいる。予定日が近づき、万が一のために母と布団を並べて眠る日が続いていた。

「一応病院に電話するべ。」
看護師は、持病があるため早めに来るよう指示した。
難病患者の私が妊娠したものだから、特に慎重なのだ。
夜明け頃、父の運転する車で病院に向かう。
初産だが、家族がいるおかげで落ち着いていた。
アパートで夫と二人きりなら、もっと焦っていたかもしれない。
診断の結果、前兆だけだったため、両親は引き返した。
私は個室に入り、体力をつけようと朝食を取ろうとした。
その時、本格的な陣痛が私を襲う。

「もうすぐですよ!」
助産師の励ましはありがたいが、もう一分も耐えられない。
世の母親が全員強者に思えてくる。
痛みの中、夫の顔を思い浮かべる。
病気の私を笑顔で支え、仕事にも真剣な夫。
愚痴を聞いたことはない。
彼のためにも出産という大仕事は、私が全うしなければ。
全身に、大きな痛みの波が来たその時。

「おぎゃあ!おぎゃあ!」。

あらかじめ決めていた娘の名を、恐る恐る呼ぶ。
経験したことのない、くすぐったさだ。
すぐに娘を抱いたが、涙でぼやける。
腕の中の小さなぬくもりを、そっと胸に引き寄せ確かめた。
周りの心配をよそに、安産だった。
親戚や友人が、大量のお守りをくれたおかげもある。

歩けるほどまで落ち着くと、娘を移動式ベットに乗せて分娩室を出た。
十ヵ月ぶりに軽くなった体に浮かれる。
一人で出た病室に、二人で帰る不思議な感覚がある。
ドアの向こうには、両親の笑顔が待っていた。

「来たらもう生まれるって言うし、あなたは歩いてくるし、びっくりしたわ!」
そう言い母は、私の身の回りの世話をせっせと始める。
孫の誕生に、いてもたってもいられないようで、親戚に報告しに行った。
静かな部屋で、改めて娘を抱く。
懸命に息をする姿を見て、父の前なのにぼろぼろと涙が出た。
「病気がある私でも、親になれたよ。」
父も少し目頭が熱くなったようだった。

「この子は宝物だな。」
優しく笑って、小さな頬をそっとなでた。

初めての授乳やおむつ替えに悪戦苦闘しながらも、母子ともに体調は良く、あっという間に退院した。
家に戻り、四人暮らしのスタートだ。
「おぎゃー!おぎゃー!」
小さな体からは、想像できないほどの大きな声が、四六時中響き渡る。産後の体を気遣い、父も母も飽きずにあやしてくれた。
友達や親戚が、娘に会いに来てくれる日々が続く。
リビングだけではなく、和室に普段は使わない座布団も増やすほどの、来客の多さだ。
盛り上がる反面、私の心の中には不安が芽生えてきていた。
夫しかいない都会のアパートへ帰る事を、想像できなくなっていったのだ。

仕事で忙しい夫は、帰りも遅く休みも少ない。寂しい子育て生活が目に浮かぶ。
今はお風呂も買い物も手伝ってもらえるが、今後一人でやっていけるのだろうか。
夫の元へ帰る前夜、悩みを母にだけ打ち明けた。
母は頷きながら全てを聞いてくれた後、優しく諭した。
「いつ遊びに来たっていい。でも結婚したんだから、旦那さんのいる場所が、あなたの家なんだよ。」
はっとした。自分の甘えに気がついたのだ。
少し寂しい気もしたが、その言葉には、一度娘を嫁に出した親の覚悟が感じられた。

親元を離れて、就職、結婚を経たことで一丁前に自立した気になっていた。
しかし、そこには確かに親離れしきれていない自分がいた。
知り合いも沢山いて、居心地の良い広い家には、手助けしてくれる両親がいる。
私は一度出たはずの故郷に、再び安住し始めていたのだ。
結婚した時誓ったではないか。どんなことがあっても、互いに支え合うと。

腕の中の娘を見る。私が愛する優しい人に、目も鼻もそっくりだ。
もっとしっかりしなくては。改めて、私は母になった気がした。
娘ももうすぐ2歳になる。
お盆やお正月などの節目しか帰省はできないが、里帰りのたびに思う。
私は確かにここで生まれ育った。
それでも今私が「我が家」と呼べるのは、夫の元だけなのだ。
我が家とは、自分で作り上げた家庭の事を呼ぶのかもしれない。
時に甘えることもある。しかし、これからは、お世話になった両親や故郷に恩返しする番がきたのだ。

まだまだ何も返せていないが、娘を大事に育てることが、ひとまず孝行だと思っている。
色んな意味で、命の誕生というのは、人を大人にしてくれるものだ。
冬には娘とスノーブーツを履き、遊びながら家のまわりの雪かきをする。
「もうすぐみんなが来るわよー。」
玄関から、母が二人を呼ぶ声がした。

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