私は田んぼに囲まれた、田舎の一軒家に生まれた。
大好きな両親と、優しい祖父母と一緒に暮らしていた。
我が家は、父が若くして頑張って建てた自慢の家だ。
幼かったものの、陽の当たる縁側で祖母とお手玉をしたこと、
毎日のように祖父の布団に潜りこんで一緒に眠ったこと、
今でも鮮明に覚えている。
私が四歳になった頃、父の転勤が決まった。
父にとっても、努力してやっと建てたマイホーム。
悔しかったと思うが、仕事を断ることは出来ず祖父母に家を任せ、
私達三人は新しい地で心機一転アパート暮らしを始めることとなった。
新しいアパートも悪くはない。
憧れていたピアノ教室がすぐ隣で、真ん前には大きな公園。
今までの田舎は友達も少なかったが、数え切れないほど沢山の友達もできた。
しかし、夜になって布団に入ると思い出す祖父母の優しい笑顔。
大好きだった私の家。
窓から見えた青青とした田んぼ。
『おうちに帰りたい…』忙しそうな両親には言えなかったが、
思い出してはひとりでこっそり泣いた。
気付いたときには、私の思いは止めることができないほど大きくなってしまっていた。
「おうちに帰るもん」早朝、母の目を盗んでこっそり家を抜け出した。
そう、祖父母の待つ、本当のおうちに帰るために。
同じ県内だが、アパートと我が家は、車でもかなりの距離があった。
もちろん歩いて行けるわけがない。
しかし幼い私にはそんなことを考える術もなく、ポケットにチョコレートを詰め込み、
おぼろげに覚えている車で通ったであろう道を、ひたすら歩いた。
暑い夏だった。ポケットのチョコレートはドロドロに溶けて、
喉が渇いても飲み物を飲むこともできない。
泣くのを必至に堪えて、ただひたすらに祖父母の顔と田んぼの中に佇む
大好きなおうちを思い浮かべながら歩いていた。
二時間ほど歩いたところで、私は見知らぬおじさんに保護された。
幼い女の子が一人で歩いていることを不審に思い、交番へ連れて行ってくれたのだ。
その間にも両親は近所の方々と一緒に必至に捜索してくれたと後から聞かされた。
本当に迷惑を掛けてしまい申し訳なかったが、親切なおじさんのお陰で私は無事、
家族の元へ帰ることができた。
数年経ち、小学生になった私は、大好きな夢にまでみた「おうち」に戻った。
祖母に抱かれた縁側はそのままに、雪見障子からは少し大きくなった庭の木々や、
当時のままの青青と広がる田が見えた。
お布団の中で昔話を聞かせてくれた祖父は、もういない。
代わりに、祖父が私の成長を楽しみに、背丈を測ってつけてくれていた柱キズが
「おかえり」と迎えてくれた。
かくれんぼに使った押入れ、上っては駄目よと怒られていた階段、
祖母の作るちらし寿司を待ちきれずこっそり味見していた台所、
全てが懐かしく、大好きな「おうち」で過ごせる毎日が楽しくて仕方なかった。
そんな思い出いっぱいの我が家も、今年はリフォームを予定している。
小さい頃から大切にしている宝物を失うような、何とも言えない空虚感。
我が家との別れは寂しいが、高齢になった父と母を
これからも見守ってもらうための必要な決断だった。
思い出の柱や障子の桟、再利用できるものはそのまま
大切に使ってもらおうと家族みんなで決めた。
私達と時を刻んだ柱も、姿を変え、
久しぶりに新たな一本線が加わる日を楽しみに待ってくれているように思う。
「ありがとう、私の『おうち』私の『家族』」