第2回「ありがとう、わたしの家」キャンペーン 入賞エピソード発表!

「ありがとう、わたしの家」賞

我が家の年中行事(今年も我が家に春が来たさん)

妻は平成二十一年八月亡くなりました。
還暦を迎える二ヶ月前でした。

妻は病気が発症するまで市の手話通訳士でした。
この地の手話サークルで耳の不自由な人達と手話の普及に励んでいました。
妻は高校生の時、父を亡くしその年に弟も亡くしました。
母ひとり娘ひとり家族でした。
そんなことも影響しているのでしょうか、私と付き合っている時
こんな言葉を言っていました。

『あなたの家族のように私には兄弟もいないし父もいません。
だから家族を持ったらみんなで一年中いろいろな「我が家の季節の行事」を
したいとおもいます』
『季節の行事?』

私には意味がわかりませんでした。
『家族の誕生日会。お正月のお祝い。豆まき。お花見。
子供の日お祝い。お雛様飾り。七夕。お彼岸のおはぎ作り。
お餅つき。ご先祖様のお墓参り』
『そんなにたくさん出来るかな』
『気持よ』

妻は旅行に出たことが少なかったようです。
結婚後、日本中を訪れました。観光地と名のつくところはほとんど行きました。
旅先で妻は言いました。

『あなたのおかげで日本中旅をしましたね。思い出がいっぱい出来ました。
ありがとうございます。今度は桜のたくさん咲く所に連れて行って下さい』
『桜?』
『よく父と弟で家の近くの桜の咲く公園に行きました』
『桜か。よし行こう。だけど季節は春だけだなぁ』
『家の庭に桜の木があって、桜の樹の下でお花見ができたら最高ですね』
『それは無理だな』
『そうですね』

妻は笑っていました。
それから桜の季節になると北海道、岐阜、今年は青森、福島とたくさんの桜の咲く名所を見に行きました。

ふとした偶然から現在の広い地に越すことになりました。
以前と違って桜を見に行くと妻は必ず

『この桜の苗木を買ってもいい』

こうして我家の庭に桜の苗木が三本植えられました。日本三大桜の苗木です。
福島の滝桜。山梨の神代桜。岐阜の薄墨桜です。
植えてから数年は花は咲きません。

妻は亡くなる三年ほど前、お腹が痛いと初めて弱音を吐きました。
診察後、即入院、手術でした。
入院した妻の話し相手が日課となった春先のある日、神妙な顔をして妻が言いました。

『桜を見に行くことも私の病気で行けませんね。
病室の窓から見るとたくさんの桜が咲いていますよ。
家の庭の桜はまだ咲きませんか。たくさんの桜を見に行きましたね。
でも沖縄の桜は見ていませんね。沖縄から咲き出し半年かけて北海道に上陸です。
沖縄の桜は緋寒桜と呼ばれているそうです。
元気になったら緋寒桜を見に連れて行って下さいね』

亡くなる年の夏の夕方、空に虹が掛かりました。
妻に携帯電話で写真を撮り送りました。

『虹が出ましたよ。きっと明日は良い事があるよ』

妻の携帯の文字は

【そうね。あの虹を渡れば沖縄の桜を見に行けますね】

妻は亡くなりました。
翌年、初めて桜が小さな蕾をつけました。最初に植えた神代桜です。
翌年には薄墨桜と滝桜も咲きました。大樹の満開とはいえませんが
咲き出しました。それぞれ特徴がある花の色です。

数年前から桜の下で花見の会を開いています。
妻が逢うことができなかった孫も一緒です。
今年は満開です。妻もきっとこの桜を見ていると思います。

『家の庭に桜の木があって、桜の樹の下でお花見ができたら最高ですね』

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