第2回「ありがとう、わたしの家」キャンペーン 入賞エピソード発表!

準グランプリ

父のいる家(MAさん)

社宅を転々としていた我が家が初めて自分達家族の家を持ったのは、
私が小学校三年生の時だった。
子供達が寝静まってから、小さな居間で父と母が一枚の紙を前に、
難しそうな顔をしたり、笑ったりしながら
毎晩話し合いをしているのをこっそり見ていた私は、
ある朝テーブルに残された一枚の広告から、
その話し合いが家を買う準備のためのものだと知った。

それからしばらく経って、私と弟は一軒の家に連れて行かれた。
ここに引っ越すのだと言う。
それは、部屋数は多いものの、古くて、少し変わった間取りの家だった。
1階と2階の間に天井の低い小さな部屋があったり、3階に続く隠し階段があったりと、
まるで忍者屋敷のような家だった。
少し前に、近所に住んでいた仲の良い友達が、家の中に螺旋階段のある
美しい洋館に引っ越していた。
自分の部屋が与えられたことは嬉しかったけれど、
描いてたものとは違う家を見て、少しがっかりした。
父は、友人や親類をこの家に招くのが大好きだった。
納戸まで案内して、自慢の家だと言っているのを聞いたことがあるが、
私には、この古い家の何が自慢なのか分からなかった。

大学を卒業し、家を出た。
その数年後、父が亡くなった。
しばらくして弟が海外に転勤になり、
一人になった母が病を患い家を出たあと、家は無人になった。
家の中に流れていた時間が止まった。

あれから何年経ったのだろう。
昨冬、久しぶりに家に戻った。この家を、売却しようと思ったのだ。
必要な書類を取り出すために開けた金庫の中に、一冊の古いファイルを見つけた。

綴じられた沢山の書類の山の中に、懐かしい父の文字。
家の購入に至るまでの日記、ローン返済のためのシミュレーション、そして、
その昔、私が見たこの家の広告。そこには家具の配置が何通りにも書き込まれていた。

父は、自分の夢を叶えるために、祖父母の反対を押し切り学業の途中で上京し、
文字通り、裸一環で人生を切り開いてきた。
沢山の苦難があったが、何より一番辛かったのは、
帰る家がないということだったという。
自分の子供達には同じような思いをさせたくない。

螺旋階段は叶わないけれど、子供が楽しめるような家を探して、
それが一風変わった間取りを持つこの家だったこと。
私の弾くピアノが家のどこにいても聞こえるよう、
何度もピアノの置き場所を考えたこと、
自分の部屋はいらないが、子供達にはそれぞれ部屋を与えたいこと、
その代わり、家族の姿がいつでも見えるように
居間の隅に専用の小さな椅子を置きたいこと、
将来はこの家を子供たちに譲り、自分は屋上に小さな部屋を作って、
そこから家族を見守って人生を終えたいこと。
日記は、この家へ引越しをした夜で終わっていた。

若い時に抱いた夢は、残念ながら叶うことはなかった。
しかし、癒しや安らぎ、明日への活力を与えてくれる家族と家、
自分の夢よりもっと大きな財産を持つことが出来たことの嬉しさで締めくくられていた。

外は日が落ち始め、電気もガスも止まっている家の中は
外とさほど変わらぬ寒さだったと思う。
でも、不思議と寒さも寂しさも感じなかった。
日記から目をあげる。父がいつも座っていた椅子は、あの時のままだ。
この部屋には、まだ父がいる。今もあの場所で、私達を見守ってくれている。

今年、父の23回忌を迎える。父に報告しよう。
私は、この家に戻る。この家は、私が守る。
父の日記の続きは、私が紡ごう。我が家の歴史は、再び始まる。

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