講演会やテレビ出演で各地を飛び回る一方、世界の辺境地を訪ね歩いて民族衣装を集めるのがライフワークという市田さん。お住まいは京都御所の近くとのことですが、家にいることも少ないので、時々「ここ何号室やろ、あ、うちやったわ」と苦笑することもあるとか。はんなりとした京都弁で、少々意外な日頃の暮らしぶりについて語ってくださいました。
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皆さん、私が日本家屋に住んでいると思うてはるんでしょうね。失望させたら申し訳ないですけど、実はマンション住まいで、畳の部屋は一つもありません。フローリングの床にじゅうたんを敷いて、ベッドで寝ています。インテリアも、基調はアール・ヌーボーなんですよ。
生まれたのは大阪ですが、戦時中の小学校6年間は上海に住んでいました。洋風の暮らしでしたから、この方が性に合っているのかもしれません。家というのは、住む人の好みや生きざまが集約された場所ですものね。
いまのマンションの住人は、私のような現役で働いている者はまれで、引退されて悠々自適の方ばかり。造りもホテルみたいですしね。私の場合、仕事場でもありますから、越してきて最初に照明を増やしました。
着物も家では着てません、ジーンズとか気楽な格好をして。机などは、書き物だけの時は“デスク”、デザインなど資料を広げたい時は“座り机”と使い分けています。だから、全てが洋風の暮らしというわけではないんですけど。
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江戸時代、物資輸送のため高瀬川を運行する舟が、荷物の上げ下ろしを行った場所。情緒ある昔の面影が、現代の街中の至るところに溶け込んでいるのも京都らしさのひとつ。
戦後、日本に戻って最初に住んだのは、四条新町の京町家でした。当時はそういう住まいが普通でね。表の間、中の間、奥の間、つきあたりに小さな庭があって、沈丁花(じんちょうげ)や椿が咲いていましたね。ぬれ縁と石の手水(ちょうず)、お手洗いの向かいに建具の入る戸袋があり、秋口になると夏の調度をしまって襖と障子を出し、夏になると葦簀(よしず)の戸に変えるんですよ。
母は美容室を経営していて、仕事を持つ女性でしたけど、そうした季節ごとの“しつらえ”も黙々とやっていましたね。床の間に季節のお軸を掛けたり、部屋の隅っこの小さな三角の板の上に一輪挿しを置いたり。それも特に高級な花とかじゃないんですよ、庭の沈丁花を一枝とか。
いまの家は洋風ですけど、廊下には嵐山のお寺の和尚さんに書いていただいた「無」という字と達磨のお軸を掛けています。また、台所の隅に一輪挿しをちょっと置いたり、夏になると酢の物やそうめんをガラスの器に入れたりしてますね。そういうことに関して、母に何も言われた記憶はないんですけど、気がついたら、「いやあ、おんなじことやってるわ」と。京女というのは、暮らしの基本になる季節感の表現の仕方を語らずして伝えるようで、どなたも本当に細やかで暮らし上手ですよ。
そうそう、前の家ではあちこちのお寺から鐘の音が聞こえて、高い音、低い音、もう鐘のシンフォニーでした。いまも南禅寺さんの鐘は聞こえます。そういうところも京都に住む良さやないでしょうか。
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ハワイで購入されたという市田さんお気に入りのポプリの飾り。壁掛けにもでき、とても可愛らしい。
仕事も家も縁というか出会いですね。着物の先生には、なりたいと思ってなったんやなくて、女優をやめて京都に戻り、スタイリストをしていた母を手伝っているうちに、いつのまにか…という感じです。
いまの家も、マンションの案内のはがきが入っていて、「ちょっと見に行こか」と、初めはひやかし半分でした。それが、もう12年住んでます。見に来たのがちょうど雪の日で、テラスに一面の雪景色が広がっていて、ほんまに綺麗やったんです。雪にほれて移り住んだようなものですわ。
でも、少々悩みもありましてね…。世界の民族衣装を集めてもう40年近くなるんですけど、約430セットの衣装が自宅の一部屋を占領しているんです。絹、羊毛、アルパカ、木綿、樹皮、羽、ビーズなど素材もバラバラで、防虫剤だけでも大変なんですよ。湿度の問題もありますし、もう個人が所有する限度を超えています。
この収集は、西陣の織物屋さんから民族衣装など外来の文様を取り入れた着物や帯をデザインしてほしいと頼まれて、1968年に40日間で11カ国を回ったのが始まりでした。当時はまだ日常生活を民族服で過ごしているところもあって、市場でも普通に買えましたが、最近では現代服に席巻されて手に入りません。貴重な資料ですから、良い状態で保管したいんですよ。
いま資料館を建てていて、来年3月にオープンするんですけど、一部しか展示できなくて…。いつか博物館をつくるのが夢ですね。






