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2018.12.18

日本初の民間分譲マンションという「インパクト」

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民法第208条は削除条文であるが1962年までは存在していた。

民法208条(建物の区分所有)(昭和37年削除)
『数人にてー棟の建物を区分し各その一部を所有するときは建物及びその附属物の共用部分はその共有に属するものと推定する』
『共用部分の修繕その他の負担は各自の所有部分の価格に応じてこれを分ける』
(原文はカナ表記)

1962年(昭和37年)に「建物の区分所有に関する法律(区分所有法)」が成立するまで、マンションの拠り所となる条文はこの一条と付随する民法229条と257条など一連の数条に過ぎなかった。しかし区分所有法の制定以前にも、分譲マンションは少しずつ、さまざまな形態を取りながら供給されていた。

賃貸マンションを想定したものの立地が良すぎて賃料が高くなり分譲に変更した公的個人向けマンション「宮益坂ビルディング」、企業向けの社宅分譲マンション「武蔵小杉アパート」、公営団地の数々。

これらはまるで「長屋」を想定して作られた(実際に想定していた)民法208条によって生まれたマンションである。しかしその中で特別異彩を放つマンションが1956年に分譲・竣工する。

四谷コーポラス

現在建替えが行われている。諸説ある中でも、「民間供給主体が企業ではなく一般対象向けに供給したマンションの第一号」であると認識されている。本コラム第1回目は「四谷コーポラス」がただ単に「初の民間分譲マンション」ではなく、それ以上の意味ある第一号物件であることを書き記したい。

当時マンション供給に力を入れるデベロッパーが登場してきたが、法の未整備感は否めない事実として立ちはだかった。いわゆる「長屋規定」である旧民法208条では現行の区分所有法と比べ明確な「専有部分」と「共用部分」の区分けがなかった※1

また、後に旧区分所有法11条(1962年(昭和37年)制定時、現行区分所有法15条)で規定された区分所有建物と共用部分持分の不可分性という考えもなかった時代であるので、金融機関にとっては担保設定などが不可能で、住宅ローンの対象にするのは困難であった※2。そのため住宅金融公庫(現:住宅金融支援機構)も当時は分譲マンションを融資対象にしていなかったし、民間金融機関も同様であった※3

「四谷コーポラス」の売主である日本信販はこの問題を月賦方式によって克服している※4。 住宅ローンが分譲マンションを対象とするのは1962年の区分所有法の施行以降である。日本信販がこの方式を取れたのは既に東急電鉄の分譲戸建て事業において、月賦販売の実績があったことも大きかったのではないだろうか。

では、区分所有法のない時代に、現在は区分所有法が規定する諸規定を「四谷コーポラス」はどのように取り決め、ルール化したのであろうか。

日本信販は買主と個々に結ぶ売買契約書に現在区分所有法に書かれている「専有部分」や「共用部分」という法的概念や共用部分の持分比率などを盛り込むことで「法的拘束力」を持たせている。「専有部分」と「共用部分」という概念が契約締結時に同意を取ることによって理解され、遵守されることを期待したのである。

民法208条が共用部分の持分を「価格の比率で分ける」としていた時代に、変動しやすい「価格」を避けて、「専有部分」の持分比率で分けると変更した点も重要である。

さらに「四谷コーポラス」が革新的であったのは「管理組合規約」の作成である。全31条からなるこの「管理組合規約」には既に第3条に「一区劃(一区画)を所有する者は全員本組合に加入しなければならない。」という条項が盛り込まれており※5、後の現行「区分所有法第3条」や「標準管理規約第6条」(標準管理規約の成立は1983年10月)を先取りした画期的なものであった。

「四谷コーポラス」は分譲された28戸のうち24戸がメゾネットタイプである。現在ではあまり一般的とは言えなくなったメゾネットが採用された理由はどの文献にも明確には残っていない。当時はまだ一戸建て住宅も平屋建てが多かったのだろうが2階建ての戸建て住宅への憧れがある程度反映されているのではないかと私は考えている。

日本では長く邸宅型一戸建てへの憧れが強く残っていた。マンションの間取りでも1980年代半ばまではメゾネットではなくても一戸建て住宅的な間取りの導入が多く見られたし、洋室よりも和室の比率が総じて高いことからも※6、同様の印象を受ける。

その後メゾネットマンションは階段が必然的にデッドスペースを生むため減少していくことになるが、それは1980年代後半からバブル期の地価急騰によって広い庭を有する邸宅型の戸建てが急速に減少した時期と重なるのである。

この後のマンションの歴史は、法改正によってマンションの形状や高さ、管理形態などが大きく変化した。しかし「四谷コーポラス」は「売買契約書」と「管理組合規約」がその後の「区分所有法」と「標準管理規約」の成立に大きな約割を果たした極めて希有なケースである。

「四谷コーポラス」の主要間取り例(データ出典:東京カンテイ)
「四谷コーポラス」の価格推移(データ出典:東京カンテイ)

東京カンテイでは、設立5年後の1984年から分譲マンションの中古事例のデータ収集を行っている。そのため、「四谷コーポラス」のような黎明期のマンションでは残念ながら築後20余年の中古事例を確認することができない。

このマンションは1956年に竣工しているが、最初の売事例が確認できるのは1985年1月である。この時点で既に築28年となっており価格は2,250万円、坪単価は99.8万円である。しかしその後、この1事例を最後に2004年12月まで売出事例の発生はパタリと消えてしまう。

今まで東京カンテイでは『ヴィンテージ・マンション』の分析を行ってきたが、総戸数の少ない物件では売事例がほとんど発生しないマンションがある。1985年以降は未曾有の地価高騰期に入るため、「四谷コーポラス」もかなり高額となっていたに違いない。

元々分譲時の一戸平均価格は220万円(2,200万円ではない)であるから、1985年時点で価値は10倍程度になっていた。このバブル期やその後のデフレ期に売事例が全く出なかったというのは、総戸数が28戸と少なかったことを差し引いても、相当珍しいことである。

その後「四谷コーポラス」は2004年以降毎年売が発生し市場に出ているが、築51年を超えた2008年7月から急激に坪単価が下がるのである。2008年7月はリーマン・ショックの前で価格の上昇期であったから、この価格の動きはいかにJR四ツ谷駅徒歩5分の立地であっても、「四谷コーポラス」というヴィンテージ・マンションでも築50年を超えて価値を保つのは難しいことを示している。

※1 志岐祐一・松本真澄・大月敏夫編『四谷コーポラス 日本初の民間分譲マンション1956-2017』(鹿島出版会)54ページ
※2 稻本洋之助・鎌野邦樹著『コンメンタールマンション区分所有法』(日本評論社)89ページ
※3 小菊豊久『マンションは大丈夫か』(文芸新書)63ページ
※4 同上64ページ
※5 既出「四谷コーポラス 日本初の民間分譲マンション1956-2017」43ページ
※6 (財)日本住宅総合センター『日本における集合住宅の普及過程』210ページ

井出武(いで・たけし)

井出武(いで・たけし)

1964年東京生まれ。89年マンションの業界団体に入社、以降不動産市場の調査・分析、団体活動に従事、01年株式会社東京カンテイ入社、現在市場調査部上席主任研究員、不動産マーケットの調査・研究、講演業務等を行う。

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